M&P Legal Note 2020 No.8-1
新型コロナウイルス感染症を踏まえたM&A契約における対応(1)
2020年5月29日
松田綜合法律事務所
コーポレートチーム
1 はじめに
2020年5月27日時点において、我が国における新型コロナウイルス感染症の1日あたりの新たな感染者数は大局的には減少傾向にあり、また、47都道府県を対象として発令された緊急事態宣言は、すべての都道府県について解除されるに至っています。しかしながら、感染拡大の第2波・第3波の可能性に言及する報道等もみられるところであり、今後の数年間は新型コロナウイルス感染症の感染拡大の可能性を念頭に置き、その影響を契約に適切に反映する必要があるものと思われます。そして、そのことは、株主構成等の会社の基礎的事項に大きな影響を及ぼすM&A取引においても例外ではありません。
本稿は、今後締結されるM&A契約(特に株式譲渡契約を念頭に置きます。)において、新型コロナウイルス感染症との関係で問題となり得る事項について説明するとともに、契約における議論の方向性について若干の考察を加えるものです。
2 クロージングの前提条件とMAC条項
(1)M&A取引の概要
M&A取引は、①売主と買主との間で秘密保持契約書を締結し、また、②基本合意書を締結した上で、③買主によるデューディリジェンスが実施され、④売主と買主との間でデューディリジェンスの結果を踏まえた契約交渉がなされ、⑤M&A契約を締結し、⑥一定期間において、デューディリジェンスにおける検知事項について、買主が要求する対応を売主側が行った上で、⑦クロージング手続(売主による株式譲渡及び買主による代金支払)が実施されるという流れを辿ることが一般的です。
M&A契約においては、取引の実行(クロージング)に関して、売主及び買主の義務の履行に関する前提条件について定められます。これは、M&A契約締結後に、当事者が取引の前提とした事実関係に変動等が生じた場合に、当事者に取引の実行を拒否できるようにするためです。
M&A契約において、売主の義務に係る前提条件と買主の義務に係る前提条件は分けて規定されます。一般的には、買主の義務に係る前提条件の方が、売主の義務に係る前提条件に比べて詳細に規定されることが多くなります。これは、買主の方が、M&A取引の実行において、確認等をする必要のある事項が多いためです。
(2)MAC条項とは
M&A取引においては、上記のとおり、M&A契約の締結時点からクロージング時点まで一定期間が空くことが通常であり、この期間に、対象会社に重大な影響(Material Adverse Change/Material Adverse Effect)を及ぼす事由が生じた場合におけるリスクをどう分配するかが争点となります。
そこで、M&A契約においては、対象会社に重大な影響を及ぼす事由が生じていないことを、買主の義務(代金支払債務)履行の前提条件として定める場合があります。このような条項を、一般に、MAC(Material Adverse Change)条項やMAE(Material Adverse Effect)条項と呼びます(本稿においては、単に「MAC条項」と呼称します。)。MAC条項がおかれている場合、対象会社に重大な影響を及ぼす事由が生じているときには、買主がクロージング義務を履行しないことが認められます(その結果、当該M&A契約を解除することができる場合があります)。
具体的には、「本契約締結日以降、対象会社の財務状態、経営成績、キャッシュフロー、事業、資産、負債又は将来の収益計画に重大な影響を及ぼす事由が生じておらず、また、新たに発見されておらず、そのおそれがないこと」といった内容を、買主の義務履行の前提条件として定めることになります。
3 新型コロナウイルス感染症とMAC条項の解釈
(1)我が国におけるMAC条項の実務と解釈
MAC条項の実際の適用にあたっては、「重大な影響を及ぼす事由」の範囲が重要となります。
我が国の契約実務においては、重大な影響を及ぼす事由について、詳細な定義を置いていないことも多いものと考えられます。
また、裁判例においても、表明保証条項において、「財政状態に悪影響を及ぼす重要な事実が生じていない」ことが定められていた事案において、社会的な不動産市況の下落というような、一般的普遍的な事象については、上記事由にあたらないとしているものがあり(東京地判平成22年3月8日判時2089号143頁)、MAC条項の重大な影響を及ぼす事由について厳格に解されるものと考えられます。
したがって、我が国のM&A契約においては、重大な影響を及ぼす事由として、伝染病や疾病の発生について定められていない限りは、新型コロナウイルス感染症の感染の再拡大やそれに関連して生じた事由又は従前の新型コロナウイルス感染症の感染拡大に起因する経済事象が、重大な影響を及ぼす事由にあたるかについて、慎重に解釈をする必要があると考えられます。
(2)クロスボーダーM&A等におけるMAC条項
他方で、クロスボーダーのM&A契約や諸外国のM&A契約においては、「重大な影響を及ぼす事由」の定義についてより詳細な定義を置くことが一般的です。具体的には、(1)重大な影響を及ぼす事由について広汎に定めた上で、(2)重大な影響を及ぼす事由の除外事由(カーブアウト)をおくことになります。例えば、
① 重大な影響を及ぼす事由については、その影響の対象を幅広に規定し(対象会社の財政状態、経営成績及びキャッシュフロー、事業、資産、負債、将来の収益計画等)、影響については数値基準等を設けず抽象的な文言を用いる。
② 一般的・普遍的な事象に伴う社会全体・業界全体に及ぶ状況の変化(例えば、金融市場、証券市場一般の変化や対象会社の業界一般に影響を及ぼす事項(原材料の高騰等)等)について、重大な影響を及ぼす事由から除外する。
③ ②の例外として、②の事由に伴う変化であっても、対象会社と他の会社を比較して、対象会社に対して不均衡な悪影響が生じている場合には、重大な影響を及ぼす事由に含める。
などの定めをおくことが考えられます。
①の段階では、買主に有利となりますが、②の除外事由を広げるほど、重大な影響を及ぼす事由の範囲が狭まり、売主が有利となり、他方で、③を定めることにより重大な影響を及ぼす事由の範囲が広がるため、買主にとって有利となります。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、例えば対象会社の売上が大きく減少することは、①に該当することになり、MAC条項に従って買主は義務履行を免れることになります。しかしながら、契約上、「伝染病、感染症、その他の疾病」を除外事由として定めている場合には、②に該当する(=買主は義務履行を免れない)か、他の会社と比較の上、対象会社に対する影響の大きさ次第では③に該当する(=買主は義務履行を免れる)ことになります。
新型コロナウイルス感染症のみならず、近年地震等に代表される天災が頻発していることや、昨今経済や政治情勢が目まぐるしく変化していることに鑑みれば、今後、国内のM&A取引において、MAC条項を設ける場合に、重大な影響を及ぼす事由について詳細な定義を置く必要性は高まっているものと考えられます。その際には、このようなクロスボーダー取引等における契約実務が参考になるものと考えられます。
4 新型コロナウイルス感染症とM&A契約の交渉(MAC条項の場合)
現状のように、新型コロナウイルス感染症の影響下において、M&A契約の交渉を行う場合には、MAC条項をめぐって、売主・買主間において交渉がなされるものと考えられます。
(1) 売主側の留意点
MAC条項は、契約締結時点からクロージング時点までにおける重大事由の発生を売主に負担させる条項ですので、売主としては、まずは、前提条件としてMAC条項を定めないよう求めることとなります。
MAC条項を定めることになった場合には、重大な影響を及ぼす事由の範囲に関する除外事由として、新型コロナウイルス感染症の感染拡大及びそれに関連して生じた事由を定めることを求めることになります。また、新型コロナウイルス感染症が対象会社に与える影響が、他の会社と比べて不均衡に大きくなる可能性があるかどうかについて、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が契約締結時点までに対象会社に及ぼした影響を踏まえて判断し、MAC条項の除外事由の例外を設けることを許容できるか検討することになります。
(2) 買主側の留意点
新型コロナウイルス感染症の感染の再拡大については、その時期や範囲を含めて現時点では予測が困難な事象であるといえます。また、従前の新型コロナウイルス感染症の感染拡大による経済的な影響や回復の時期等についても、現時点では予測が困難であるといえます。そのため、買主としては、可能な限り重大な影響を及ぼす事由を広く規定する(=除外事由の範囲を狭める)ことを求めることになります。
(3) 双方における留意点
今後M&A契約を締結しようとする際には、新型コロナウイルス感染症により対象会社に悪影響が生じる可能性があること自体は、売主買主双方が認識しているといえます。そのため、一般的なMAC条項の適用範囲について交渉を重ねることのみならず、新型コロナウイルス感染症に係るリスクを売主・買主にいかに配分するかについて交渉を行うことも重要であると考えられます。
一般的なMAC条項においては、重大な影響を及ぼす事由に関して、数値基準等の客観的な指標は設けないことが多いですが、新型コロナウイルス感染症に関連する事由については、前提条件該当性を明確に判断するために、金額基準等を設けることが検討されます。
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