M&P Legal Note 2017 No.4-1
保育園の騒音をめぐる裁判 ~判例(神戸地方裁判所平成29年2月9日判決)より~
2017年4月30日
松田綜合法律事務所
弁護士 菅原清暁
第1 はじめに
近隣住民の反対などを受けて保育園開設を断念した事案は、報道された例だけでも、千葉県市川市をはじめ東京都杉並区、品川区、神奈川県鎌倉市、埼玉県さいたま市、愛知県名古屋市、大阪府豊中市、福岡県福岡市、沖縄県北谷町など全国的に複数発生しています。保育園の騒音を巡る問題は、保育園を運営する事業者、殊に新たな保育園の開設を計画している事業者にとって、非常に深刻な課題といえます。
このような状況の中、平成29年2月9日、神戸地方裁判所は、近隣に居住する男性が保育園からの園児の声などによって精神的苦痛を受けているとして慰謝料と防音設備の設置を求めた訴訟で、男性の請求を認めない判断をしました。
そこで、本稿では、この神戸地方裁判所の裁判例を題材に、保育園からの騒音問題について概説します。
第2 騒音問題裁判(神戸地裁H29.2.9)
1 事案概要
(1) 保育園の概要
問題となった保育園施設は、平成18年4月1日に開園した神戸市内の認可保育園です。定員数は約120名であり、開園日は月曜日から土曜日まで、保育時間は午前7時から午後7時まで(特例保育及び延長保育の時間を含む。)でした。
保育園と裁判を起こした男性宅とは、男性宅南側敷地から約10m離れた距離に保育園北側敷地があるという位置関係でした。なお、男性及び保育園が所在している地域は、都市計画法の用途地区における第一種住居地域[1]に指定されています。
(2) 紛争に至る経緯
保育園事業者は、平成16年7月以降、周辺住民に対し、新設保育園の新築工事及び工事に関する説明会を開催し、事業の概要、保育園施設の設計内容、建築工事の予定等を説明していました。
近隣住民からは、第1回説明会より、園児が発する声等による騒音などの懸念が示され、保育園の窓を防音ガラスにすること、敷地境界線に建てる塀を防音性のあるものにすることなど、現在の住環境をできるだけ維持するため、建物の構造、仕組みを検討するよう意見が出されました。
保育園事業者は、近隣住民の意見を踏まえて、園庭の位置を変更する設計変更などを行いましたが、近隣住民との協議は難航しました。
このため、保育園事業者は、住民説明会と並行して、個別の近隣住民との間で、騒音対策の一環として、次のような合意を交わしました。
- 近隣住民の住宅の窓を保育園事業者の費用負担で二重サッシにする。
- 保育園施設と西側住民の境界線からの距離を1,649mmから2,000mmに変更する。
併せて、保育園事業者は、保育園北側敷地境界線上に高さ3mの防音壁(積水樹脂株式会社製のアルミ・樹脂積層複合材等を原材料とする遮音性能を有するフェンス)を設置しました。
このような経緯を経て、平成18年3月8日、当初の予定より約1年遅れて保育園施設が完成しました。
ところが、近隣に居住する男性1名はこれに納得せず、平成18年4月1日の保育園の開園後、保育園の園児が園庭で遊ぶ際に発する声等の騒音が受忍限度を超えており、日常生活に支障を来し、精神的損害を被ったと主張し、慰謝料100万円の損害賠償を請求するとともに、保育園からの騒音が50dB以下になるような防音設備の設置を求めました。
2 裁判所の判断
(1) 裁判所が示した判断基準
本事例において裁判所は、騒音による被害が違法な権利侵害になるかどうかの基準について、「侵害行為の態様、侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為の持つ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、当該地域の地域環境、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の諸般の事情を総合的に考慮して、被害が一般社会生活上受忍すべき限度を超えるものかどうかによって決するのが相当である」としました。
併せて、この「被害が一般社会生活上受忍すべき限度を超えるものかどうか」を判断するため、環境基準、騒音規制法及び神戸市の騒音基準は、公害防止行政上の指針や行政上の施策を講じるべき基準を定めたものであり本来私人が発生させる騒音問題に直接適用されるものではないものの、騒音が生活環境や人の健康に与える影響に係る科学的知見に基づき、周囲の環境等の地域特性をも考慮して定めた有益な指標であるとしました。そのうえで、本事例において、これらの基準に照らして「被害が一般社会生活上受忍すべき限度を超えるものかどうか」が検討されました。
(2) 本事例に対する裁判所の判断
環境基準については、男性宅敷地内での騒音レベル測定結果が基本指針値の昼間の時間帯の指標を上回っていないことが認められました。
他方で、騒音基準については、保育園敷地境界線での騒音レベル測定結果が基準を上回っていることが認められました。
もっとも、この点について裁判所は、「騒音基準は類型的に著しい騒音を発生させる特定工場等に対して規制基準の順守義務を課すためのものであり、受忍限度を超えるか否かの判断においては、当該騒音が被侵害者に対して及ぼす影響の程度を検討すべきであって、その及ぼす影響の程度は、騒音源である敷地の境界線で計測された騒音レベルに加え、騒音源と被侵害者の居宅との距離、騒音の減衰量等をも踏まえて検討するのが相当である」として、騒音基準をそのまま指標として採用すべきではないと判断しました。
そのうえで、騒音が断続的に継続するものではないことや、保育園事業者が騒音対策を講じるように努めてきたことなどの諸事情を考慮し、男性が保育園から騒音により精神的・心理的不快感を被っていることはうかがえるものの、男性宅で測定される保育園の園庭で遊戯する園児の声等の騒音レベルが、未だ社会生活上受忍すべき限度を超えているものとは認められないとして、最終的に保育園事業者に違法性はないと結論づけ、男性の慰謝料請求と防音設備の設置請求を認めませんでした。
第3 裁判例から学ぶべきこと
本裁判において、まず注目すべき点としては、保育園からの騒音が違法な権利侵害にあたるかどうかを判断するにあたって、保育園の公益性・公共性を一切考慮されなかった点が挙げられます。
裁判所は、「保育園は、神戸市における保育需要に対する不足を補うために被告(保育園事業者)が神戸市から要請を受けて設置・運営したという経緯からすれば、保育園は神戸市における児童福祉施策の向上に寄与してきたという点で公益性・公共性が認められる」としつつ、「保育園に通う園児を持たない原告(近隣居住の男性)を含む近隣住民にとってみれば、直接その恩恵を享受しているものではなく、保育園の開設によって原告(近隣住民の男性)が得る利益とこれによって生じる騒音被害との間には相関関係を見出しがたく、損害賠償請求ないし防音設備の設置請求の局面で本件保育園が一般的に有する公益性・公共性を殊更重視して、受忍限度の程度を緩やかに設定することはできない。」と判断しました。
本裁判例に従えば、保育園からの園児の声が環境基準や騒音規制を超える場合、保育園の恩恵を受けていない近隣住民との関係で、保育園事業者側が慰謝料を支払わなければならなくなる可能性が十分あることになります。
そして、本事例で問題となった保育園において園児の声が特別大きかったとも考え難いことから、本事例において問題となった保育園同様に、どの保育園においても、保育園からの園児の声が環境基準や騒音規制の基準を超えてしまっている可能性は十分あるものと考えられます。
このため、保育園事業者は、本事例のように、たとえ園児の声による騒音レベルが騒音規制の基準を超えていたとしても、違法性が認められることのないように、保育園の開設にあたっては、近隣住民の要望に対して真摯に応じ、できる限り配慮しておくことが必要と考えられます。
しかも、本事例では、以下のような多くの事情が考慮され、最終的に違法性がないものと判断されています。
- 保育園の敷地境界線で計測された騒音レベルは騒音規制の基準を超えているものの、約10m離れている男性宅においては騒音レベルが低下している
- 園児が遊戯する時間は約3時間であって断続的に発生するものではない
- 男性において環境基準を前提とする昼間の時間帯の屋内騒音レベル45dBを下回る騒音レベルを維持することを必要とする特別の事情があるとは認められなかった
- 保育園事業者が近隣住民に対する説明会を1年ほどかけて行い、その間、本件保育園から生じる騒音問題に係る、男性を含めた近隣住民からの質問・要望等に対して検討を重ねた
- 既設の保育園で測定した騒音結果から本件保育園の騒音の推定値を算出したうえで、遮断性能を有する本件防音壁を設置した
- 一部の近隣住民に対して保育園事業者の負担において二重サッシに取り換えることを提案合意する等騒音対策を講じるように努めた
- 最終的に男性と折り合いがつかなかったものの、保育園事業者側から男性に防音対策による問題解決の提案がなされていた
このような事情を考慮すれば、近隣住民への対応が不十分であった場合には、保育園からの園児による声が一般社会生活上の受忍限度を超える違法な騒音であるとして、慰謝料請求が認められてしまうおそれがあります。
本裁判を踏まえ、全ての保育園事業者は、騒音による慰謝料を請求され、それが認められるというリスクがあることを認識した上で、近隣住民から保育園運営に対する理解を得るべく、あらかじめ十分な対策を講じておく必要があります。
第4 保育園事業者に求められる対策
騒音に関する保育園の責任は、保育園の公益性・公共性のみをもって免れるものではありません。近隣住民への対策を怠った場合には、住民からの慰謝料請求が認められる可能性があります。
そして、近隣住民のうち一人でも慰謝料請求が認められてしまえば、他の住民からの請求が相次ぎ、多額の慰謝料を支払わなければならなくなったり、高額の騒音対策の導入を求められたりすることも想定されます。このような事態に至れば、保育園の存続自体が危ぶまれかねません。
そこで、保育園事業者としては、以下のような対策を講じておく必要があるものと考えます。
- 保育所開設予定地区の環境基準、騒音規制基準を把握し、園児の声がこれらの基準を超える可能性があるか慎重に検討する。
- 近隣住民の理解が得られるまで住民説明会を開催するように努める。必要に応じて、反対住民と個別協議を行う。
- 近隣住民の要望を真摯に受け止め、可能な限り設計の変更、騒音防止策の導入を行う。
- 後日、事実経過を裁判所に説明できるように、近隣住民との交渉経緯や講じた対策などについては逐一書面に残すなど証拠化しておく。
子どもたちが真に安心して過ごせる保育園の運営に向けて、全ての保育園事業者の皆様が近隣住民から理解を得るための十分な対策を講じられるよう、松田綜合法律事務所では、保育園・幼稚園関連法務に携わる弁護士により、引き続き皆様の法的サポートを行ってまいります。
[1] 住居の環境を守るための地域として指定されるもので、指定地域では、保育所・幼稚園・学校などを建てることが認められています。
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